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  <field name="title"><![CDATA[サイレンススズカ]]></field>
  <field name="body"><![CDATA[ （、香港表記：無聲鈴鹿）はの。主な勝ち鞍は。同年6連勝で臨んだにおいて故障を発生し、と診断され、安楽死処分された。というレーススタイルで注目された馬である。 （以下、は現役当時の表記とする。）  出自  両親はともにから日本に輸入されている。父はを12年連続で獲得している大で、サイレンススズカは3年目のにあたる。母ワキアも競走引退後まもなく輸入され、サイレンススズカは2番仔であった。 1993年の種付けシーズンに、当初生産者は母ワキアにを二度種付けしたが、二回とも受胎しなかった。そこで同年春の戦線で産駒が大活躍し、生産者が種付けの権利を持っていた社台スタリオンステーション繋養のを配合しようとしたが、ワキアがした日のトニービンの予定は既に埋まっていた。繁殖牝馬の発情の機会は、一度逃すと次がいつになるかわからない。そこで、当時まだ産駒がデビューしておらず種牡馬としての実力は未知数であったが、社台側が代わりにと推薦したを種付けした。 父（青鹿毛）にも母（鹿毛）にも似ず栗毛だったことと、当時はサンデーサイレンス産駒の活躍馬に栗毛の馬がほとんどおらず心配されたらしいが、父の2年目産駒のがを勝ったことで安心したという。 牧場時代のあだ名は母の名から「ワキちゃん」。育成中は小柄でおとなしく牝馬のような馬体だったが、放牧地ではとにかく速く走っていたという。  競走馬時代   4歳（1997年）  5月生まれとサラブレッドとしては遅い時期に生まれたということもあって、育成牧場では成長に合わせてじっくりと鍛えられ、3歳の冬になって栗東の厩舎に入厩した。調教では、後にオープンクラスの特別競走を勝つ5歳準オープンクラスのアドマイヤラピスに併せ馬で先着し、坂路では破格の一番時計を出すなど、いずれもこの時期のレース未出走馬らしからぬパフォーマンスを見せ、すぐに関係者内で広く知られる存在となる。 デビューは。2着のパルスビート（後に重賞2着3回）に7馬身差をつけての圧勝であった。調教師の橋田には、ではなく、すでに一勝を上げている馬によって行われる500万下条件の特別競走にいきなり出走させる考えもあったといい、陣営の自信のほどが窺われる。毎年クラシック路線の中心となるサンデーサイレンス産駒の有力馬がこの年は不在だったこと、そして、この勝利のインパクトの大きさから「遅れてきたサンデーサイレンスの大物」、「はこの馬」とまで評価された。このレースでプレミアートに騎乗していたは「もダービーも全部持っていかれる。痛い馬を逃した」と後悔した、と述べている。 その勢いを駆って皐月賞への出走権を獲得すべく、2戦目にもかかわらずに出走した。しかし、レースではゲートをくぐってしまい外枠発走となった上、約10馬身の出遅れをしてしまう。並の馬であれば詰めるのも困難なほどの差を先行馬群につけられたが、先行する馬群に追いつくと4コーナーでは3番手に進出し、あわや勝ち負けになるかという競馬を見せるも、最後は力尽きての8着に敗れた。また、ゲートの再試験と20日間の出走停止処分が下された。 その後出走停止処分のため予定を変更して自己条件の500万下に出走し1.1秒差の圧勝を飾り、のトライアル競走であるへの出走を目指す。しかし調教中のアクシデントによって予定を変更し、一週間後のトライアル競走であるに出走した。このレースでは東京優駿を見据えて抑え気味の競馬を行い、勝利して東京優駿への優先出走権を確保した。しかし東京優駿では抑えて走ることに執着したことが裏目に出たのか終始折り合いを欠き、直線で進路が狭くなったことも響き、の9着に敗れた。このレースの反省から、陣営は抑える競馬を捨ててに活路を見出すことになった。 秋初戦はに出走。快調に逃げをうち、直線半ばまで後続に大きな差がついていた。鞍上のは勝利を確信し、追うのをやめてしまった。しかし、外から（この年の馬）が追い込んできて、ゴール前で交わされ、2着に敗れてしまう。勝てたレースを自らの手で潰したことで、デビューからを務めてきた上村は降板させられてしまう。 次走は距離適性や気性の問題などから、菊花賞ではなくを選択し、鞍上はベテランのに変更された。1000m通過が58秒5というハイペースの大逃げで見せ場を作ったが、結局、勝ち馬からは1秒離され6着に敗退した。しかし、ハイペースで逃げたにもかかわらず、3着のからは僅か0.1秒差しかなかったこと、後の大逃げスタイルの原型を確立させたこと等、意味を持つレースであった。 次走はに向かう予定であったが、に選出されたため、急遽予定を変更しへ向かった。しかし、調整不足や中2週というハードなローテーションが影響したのかパドックでイレ込んでしまった。さらにレースでは鞍ズレのアクシデントで折り合いを欠いたうえ、同じ逃げ馬のと競り合う展開になる。その結果、1000mが56秒台という驚異的なハイペースとなり、直線では馬群に沈み、の15着に敗れた。 香港国際カップでは、「依頼が来るのを待つのが騎手」というスタイルを崩して、新馬戦以来気になっていた本馬の騎乗を自ら申し出た武豊を鞍上に迎えた。レースでは1600m通過タイムが同日のの勝ち時計を上回るペースで逃げ、ゴール前まで粘り、勝ち馬から僅差の5着。健闘したが、出走までの経緯がドタバタしていたことに加えて、マイルチャンピオンシップから中2週という過酷なローテーションであったため、体調不良を起こしていた。 4歳時は、重賞の掲示板に1度載っただけの成績であった。しかし、元は雑誌で「来年はGIを勝てる馬だ」と発言。また調教師の橋田も同世代の馬よりも成長が遅れており、その分これから成長が見込めると本馬の将来を期待していた。この1年目に培った「大逃げ」というレーススタイルと、香港から始まった武とのコンビが、翌年の連勝に繋がる。  5歳（1998年）   宝塚記念まで  年明け初戦、東京競馬場でのオープン特別バレンタインステークスを4馬身差の圧勝。関西を拠点とする武が、オープン特別の騎乗のために東上するのは異例のことであった。その後を1 3/4馬身差で勝利し、重賞初制覇を果たすと、（の改修に伴うでの時期を遅らせた代替開催）も3馬身差で完勝し、重賞を連勝。 続くでは、3勝を含む4連勝中の馬・重賞2勝を含む5連勝中で後にを制する・重賞1勝を含む4連勝中のタイキエルドラドが出走するという非常にハイレベルなレースであったにも拘らず、重賞競走では非常に珍しい(11馬身差 タイム差1.8秒)のレコードタイムでの圧勝。この時中京競馬場では、あまりの大差に4コーナーを回った時点で既に拍手と喝采が贈られ直線では大勢の観客から笑いがこぼれると言う珍事が起こった。のレース中継では、4コーナーを回る時に「さあ、拍手に送られて～」と実況されている。武はゴール50m手前から小さくガッツポーズしている。 レースの内容も、最初の2戦こそただがむしゃらに走ってその能力差だけで勝っている状態だったものの、その後は息を入れることを覚えたためか二の脚を使えるようになるなど内容もよくなっており、後に「」と言われたスタイルも完成した。調教師の橋田もこの姿を「今なら安心して見ていられるよ」と語っていた。また、この時期から最大の目標を天皇賞（秋）に見据え始めた。 夏場に向けて中3週（月1度）間隔でレースに使ってきたため疲労がたまっていたこともあり、当初は金鯱賞の後に放牧へと出される予定ではあったが、ファンの期待に応えるため、体調もよく、「今の出来なら」ということで春競馬の総決算となるへの出走を決める。だが当初は回避予定であったことと、主戦の武には既に年末のまでへの騎乗の先約があったことから、サイレンススズカと同じ馬主・厩舎で、出走予定のゴーイングスズカの主戦騎手であったへと乗り替わった。 ファン投票こそ6位であったが、天皇賞（春）を制した、名牝を抑え1番人気に支持される。レース本番は南井が初騎乗であるということと距離を考えて金鯱賞に比べ抑えぎみの競馬でレースを進め、最後の直線に入っても相手をぎりぎりまで引きつけたために3/4馬身まで迫られたものの、ゴール前で鞭を入れるとすかさず加速して逃げ切り、初の制覇となった。 ファンの中には「グリーンベルト」の恩恵を受けていることや南井がそれを活かした騎乗をしていること、あるいはレース内容に納得のいかない人も多かったが、晴れてGIホースとなった。  毎日王冠  目標である天皇賞（秋）へのステップとして選んだ秋初戦のは、優勝馬と優勝馬という、2頭の無敗の外国産4歳馬が出走するというハイレベルなメンバー構成となった。 サイレンススズカは連勝中の勝ちっぷりや、直前の坂路調教でテレビ解説者が「速すぎる」と言うほどの時計を出していたことなどから単勝1.4倍1番人気に支持され、2番人気にグラスワンダー、3番人気にエルコンドルパサーが続いた。 59キロの斤量と府中の長い直線が心配されたがレースではそれを感じさせず、ここでも1000m通過が57秒7のハイペースで逃げながら後半にさらに後続を突き放す内容で、最後はペースを流し目にしながらも勝ち時計1分44秒9とコースレコードに肉薄するタイムで快勝。辛うじて2馬身半差の2着まで差を詰めたエルコンドルパサーの鞍上に「影さえも踏めなかった」と言わしめ、3着のに至っては2着からさらに5馬身差の逃げ切り勝ちであった。一方のグラスワンダーは故障明け久々のレースで、更に出遅れたにもかかわらず第4コーナーでしかけて強引に勝ちにいった騎乗に耐え切れず失速、5着に終わった。なお、この時レースを実況していたアナウンサーのはその逃げっぷりに「・ホースの貫禄!どこまで行っても逃げてやる!!」と実況している。 ハイペースで先行しながら、3ハロン（600m）のラップタイムが出走馬中で最速だったエルコンドルパサーから0.1秒遅いだけであり、逃げ馬の常識を覆すレース結果となった。レース後、武は「1000mを56秒台で通過しても平気な馬ですから、今日は比較的ゆったり行けましたね。直線で確認のために一応後続を見ましたが、全然交わされる気はしませんでした」と語った。この勝利で中距離においては名実共に当時の最強馬となったといっても過言ではなく、宝塚記念で実力に疑問を投げかけていたファンや「勝って来たのは相手が弱かったから」という意見を一蹴するほどの内容であった。 このレースは「3強対決」として大いに盛り上がり、GII競走にもかかわらず、東京競馬場には当日、13万人という大観衆がこのレースを見ようと詰め掛けた。またレース終了後には通常GI勝利の際に行われるウイニングランが行われた。このレースは出走馬のレベルや内容から、21世紀を迎えた現在でも名レースの一つに数えられている。 他馬より成長が遅かった同馬であるが、この時期にはようやく馬体が完成し筋力がついたことで、春から比べて十分に仕上げても馬体重が16kg増えた。これでこの年に入って6連勝で、最大の目標である天皇賞（秋）に王手をかける形となった。  天皇賞（秋）  最大の目標であったであったが、特殊なコース形態である東京2000mのコースで行われるため、一般に外枠不利とされており、また同じ逃げ馬サイレントハンターが出走登録したこともあって同馬にとっては枠順が唯一の課題となっていた。抽選の結果は絶好の最内1番枠からの発走となった。『平成10年11月1日東京11レース1枠1番1番人気』の“1並び”であった。 顔ぶれは、前年の優勝馬であり宝塚記念で下したエアグルーヴがに回り、毎日王冠で下したエルコンドルパサー・グラスワンダーは外国産馬のため当時の天皇賞への出走資格はなく、強力なライバルは不在であった。さらに得意の左回り、サイレンススズカの適正距離とされていた2000mということで、単勝1.2倍の圧倒的1番人気に支持された。また、このレース後には距離への挑戦も含めてへ参戦し、翌年はアメリカへ遠征するプランが発表された。 レース前、多くのTVや競馬紙も上記の有利な条件も踏まえて、サイレンススズカが負ける要素を探したものの、アクシデントがない限りサイレンススズカは負けないという意見が大勢を占めた。さらに武はレース前に「今回も（普通の馬にとっての）オーバーペースで逃げるつもりです」と堂々と宣言していた。 このような経緯を経て、デビュー以来最高といっていい状態で出走したサイレンススズカは抜群のスタートで快調に飛ばし、前走を上回る1000m57秒4の超ハイペースで大逃げをうった。競りかける馬はサイレントハンターも含めて1頭もおらず3コーナー手前では2番手に10馬身、さらにそこから3番手までが5馬身と後続を大きく引き離し、テレビの中継カメラは目いっぱい引かなければすべての出走馬を映し切れないほどであり、までも画面に入り込むほどズームアウトされている。 しかし、3コーナーの辺りを過ぎたところで突然の失速。左前脚手根骨粉砕骨折発症により、競走を中止。画面には故障した左前脚が映し出されていた。結局と診断され処分となってしまう。これをフジテレビので実況を担当したはこの事態に際し、咄嗟にサイレンススズカのにかけた「沈黙の日曜日」という言葉を発している。1着のがゴールした後も競馬場は異様な雰囲気に包まれていた。この様子をスーパー競馬のスタジオで見ていた司会のも、ショックで放送中に涙ぐみ言葉を詰まらせる状態であった。 皮肉なことに、オフサイドトラップは本来母ワキアに種付けられるはずだったトニービン産駒だった。勝ったオフサイドトラップの時計（1分59秒3）に関して後に武豊は、「サイレンスがそんなに早くバテる訳ない。やっぱり千切っていた。」というコメントを残した。また、そのときスーパー競馬で解説をしていたも無事に走り切れていたならば8、9馬身は前で走っていたと解説し、同時に「これだから競馬には絶対がない」と語った。  競走成績   ※タイム欄のはレコード勝ちを示す。  死後  粉砕骨折の詳しい原因はわかっておらず、武は「原因は分からないのではなく、」とレース後マスコミに対してコメントした。よく言われた意見は、皮肉にもサイレンススズカのあまりのスピードに骨が金属疲労のような症状を引き起こし、レース中に限界を迎えて骨折したというものであるが、これはやや短絡的である。なぜなら、短距離競走では条件戦でもサイレンススズカと同様のスピードでレースが展開し、その上でほとんど全ての馬が引退まで無事に走りきっているという点が無視されている。そのため、サイレンススズカはマイラーやスプリンターと同等のスピードで、距離の長い中距離路線を戦い続けた結果、こうした悲劇につながったのではないかとする意見もある。 レース後の武の落胆ぶりは相当なもので、同レースに出ていたも「あんな落ち込んだ豊さんを今まで見たことがなかった」と証言している。 その後、サイレンススズカはこの年のを受賞している。 サイレンススズカの死後、エルコンドルパサーやグラスワンダーの活躍によりサイレンススズカの評価はさらに上がることになった。エルコンドルパサーは、同馬も参戦予定であったこの年ので完勝し、翌年はフランスのG1、G2で1勝ずつをあげ、なおかつではの半馬身差2着と素晴らしい成績であった。エルコンドルパサーに日本国内で土をつけたのはサイレンススズカだけである。グラスワンダーも年末の有馬記念を制し、翌年も宝塚記念と有馬記念を制している。 サイレンススズカの墓は生まれ故郷である・の稲原牧場に建てられている。追悼歌「（：作詞/作曲 ：歌）」も作られた。  評価  競馬ファンに与えた鮮烈な印象、その強烈なレース内容から、に行われたアンケート「」において4位にランクインした。ハイラップを刻みペースが落ちることなく逃げ切るというレース内容が目を見張る内容であることは事実であり、日本競馬史上最高の1頭に数える者はファン、関係者問わず多い。他方では、過剰な神格化が行われているという批判もある。 とはいえ、主戦騎手の武豊はに乗った後の2007年にも、「理想のサラブレッド」「ディープが最も勝ちにくいタイプの馬」とコメントしている。武は誌上で、5歳時はハイペースで逃げつつゴールまでなかなかペースが落ちないというパフォーマンスを見せていたことから、「一番勝ちやすい馬だった気がします。」とコメントしている。 武はサイレンススズカに対して「本当にこんな馬がいるんだ」という馬に初めて出会ったとインタビューで語っている。「この馬ならG1馬相手にものすごい勝ち方ができると思っていたのに、その夢が一瞬にして消えてしまった」と答えている。また、Number誌上では「あんなことになっていなかったらなぁ、って今（2007年現在）でも不意に思い出すときがあります。天皇賞は間違いなく勝っていただろうとか、その後のジャパンカップとか、ブリーダーズカップにも行っていたかとか。もし（サイレンススズカが）いたら、きっと凄い仔を出していただろうな、って」と述べている。 調教師の橋田は5歳時のサイレンススズカは展開や枠順や天候に関係のない馬で負ける気がしなかったと語っている。栗東の調教師は「アメリカでも勝てるんじゃないか？最も理想に近い競走馬」という言葉を残している。宝塚記念で騎乗した南井は自身が主戦騎手をつとめた三冠馬のナリタブライアンを引き合いに「この馬の能力はに匹敵する。」と語っている。府中の2000mでナリタブライアンやディープインパクトらを相手にしても、この条件であれば圧勝するだろうという意見もある。 アメリカ遠征に関しては、すべての競馬場が同馬の得意な左回りで、加えて芝は日本に近い高速馬場。しかも芝路線のレベルは日本と比べればそれほど高いとは言えず、同馬の得意な中距離路線のGIレースが多く施行されていたので、大いに活躍が期待されていた。 毎日王冠についての評価としては、「一戦一戦が勝負だったサイレンススズカと違い、エルコンドルパサーとグラスワンダーはともに休み明けであり、あのレースだけで3強の間の力関係を結論付けるのは憚られる」という専門家もいる。一方で、このレースは休み明けかつ一番重い斤量を背負っていたサイレンススズカにとっても、決して万全の体調による出走ではなかった。 また、左回りに強かった同馬には、たとえエルコンドルパサーとグラスワンダーが万全の状態で挑んだとしても、あの時点では勝つことはできなかっただろうという意見もある。古馬と4歳馬の差もあるので、毎日王冠やジャパンカップなどこの時期の4歳馬と古馬の混合戦では古馬が勝つ時も多い。なお、評論家のは、青嶋達也の「古馬と4歳馬の差が出たのかと？」という質問に対して、「いや、サイレンススズカとエルコンドルパサーの差でしょうね」と語り、「サイレンススズカは並の馬じゃない」と語っている。 毎日王冠については、下した相手よりも、そのレース内容に高い評価を与えている専門家や競馬関係者も多い。59キロという斤量を背負って1000m通過57秒7というのは、並の馬なら玉砕覚悟の逃げ馬しか出さない様なラップであり、直線の長い府中ならばなおさらである。だが、その様なペースで先行しながら、最後の直線で一番手ごたえが良く、脚を余して勝ってしまうという、常識では考えられないレース運びが非常に評価されている。実際、当時の国際クラシフィケーション会議から日本のGIIとしては異例の122ポンドというGIレースをも凌ぐ高いレイティングが与えられている。 5歳時の驚異的なパフォーマンスによって、サンデーサイレンスの後継種牡馬候補としても多大な注目が寄せられるようになっていた。レースで示した個体の能力の魅力に加え、サンデーサイレンス直仔の上にが入っていないというその血統は、日本のサラブレッド牝馬との親和性・父馬としての遺伝力という両面で非常に高いものを発揮するであろうと期待させるものがあっただけに、当時は多くのサラブレッド生産者が繁殖牝馬と交配させたいと考えており、この馬の事故死に対する生産界のショック・落胆は非常に大きなものがあった。全兄弟はおらず、生産でサイレンスズズカを再現しようにも、母のワキアも1996年に既に死亡しており、不可能であった。 サイレンススズカの死後にも、  など、競馬・馬産関係者に限っても本馬を高評価するコメントは枚挙に暇が無い。父母ともにアメリカで競走生活を送っていたことと、本馬のレースぶりがハイペースでレースを進めるアメリカダート競馬の一流馬との共通点があり、アメリカから種牡馬として購入のオファーもあった。 現代の競馬において重要度が増している中距離戦線での優れたパフォーマンス（レコード勝ち、圧勝）、馬体の美しさも高い評価を受ける要因であった。また、新聞記者のが、「優秀ではあるがどこか父の縮小再生産のような馬が多いサンデーサイレンス産駒の中で、例外はサイレンススズカとである」と評している様に、サンデーサイレンス産駒の中においてもとくに高い能力を持っていると目されていたことも、種牡馬としての期待を高めさせる要因となっていた。 サイレンススズカが実際に種牡馬として優れていたかどうかは不明だが、そのスピードの遺伝子が次代、さらにその次の世代へと受け継がれる可能性が失われた事は、日本の競馬、サラブレッド生産の世界にとっては取り返せない大きな損失であった。その死を惜しむ声、そして「もし、予後不良にならずに種牡馬になれていれば」という「たら・れば」は、事故から10年以上を経た現在でも競馬ファン・サラブレッド生産者から聞かれる事がある。  特徴  最大の特徴は他馬の追随を許さない大逃げと、最後まで衰えない末脚にある。5歳の時にようやく息を入れることを覚え、そのころあたりから大逃げをしながら最後をまとめられるようになった。武豊によると、一般的な、スタートから意識して後続と大きな差を開ける大逃げと異なり、他の馬との絶対的なスピードの差から大逃げの形になっているだけだという。つまりこの馬にとっては普通のハイペースはマイペースなのである。そのため同馬は、レース後半も後続馬よりいい脚を使うこともまれではなかった。これには走り方も関係しているようで、科学的には解明されていないが、他馬よりも無駄の無い走り方であるため自然と速く走れたのだろうといわれている。 このサイレンススズカのスピードはスプリントやマイルの一流馬のスピードと比べて特別優れているわけではないが、スプリント・マイル戦のスピードで中距離も走れることが最大の強みである。は、古馬になってからのサイレンススズカを負かすために、鈴をつけに行く（＝逃げ馬のさらに前を行って、ペースを狂わせること）作戦をとることについて聞かれた際、「そのためにはGIを勝てるスプリンターが必要で、そんな馬をそれだけのために中距離戦に出して惨敗させることはできないから、現実的には不可能」というコメントをしている。以上のことから、短距離馬のようなスピードと中距離馬としても十分なスタミナは、ミドルディスタンスでこそフルに活かされると言える。主戦騎手の武は「サイレンススズカはマイルでは絶対的なスピードの差を見せつける事は難しく、中距離以上で持続したスピードを発揮してはじめて能力が際立つ」と語っている。ただし、毎日王冠でマイル戦と比較しても優秀な時計を記録している。 適正距離は1800mから2200mまでという見方があるが、4歳時の2200mのレースではバテずに走りきることが出来ており、息を入れながら走ることを覚えた5歳時には、実際に夏の暑い時期のG1である2200mの宝塚記念も勝っているため、得意の左回りでさらに距離も長く相手も強くなる2400mのジャパンカップへの挑戦を予定していた。距離についての議論はさまざまであるが、武は仮に天皇賞（春）でも道中3秒差をつける逃げを展開できれば勝てるはず、というコメントを残している。 また、追い込みや差しの戦法をこなせるだけの瞬発力も持っていた。そのため当初陣営はその瞬発力を生かそうとして、抑えて走らせようとしていた。主戦騎手の武も当初は控えた競馬をさせたかったという。本格化した後は、最後の直線で相手との距離を確かめて後続の馬をひきつけ、騎手のゴーサインに素早く反応して後続馬を一瞬にして引き離していたレースもある。最終コーナー辺りで息をいれて相手をひきつける余裕があり、それでも着差をつけてレースに勝つことが出来たのは、後ろから詰められてもすぐに加速する瞬発力があったからである。同じ優れた先行力で押し切るタイプでも、瞬発力がないがスピードと持続力のすぐれた先行馬などにみられる、緩みないペースで引っ張り先行して押し切るタイプの馬との最大の違いはこの点である。 なお、右回りが苦手とされているが、右回りのGIレースである宝塚記念を勝利しており、実際のところ致命的な弱点であったかどうかは不明である。武は、サイレンススズカのことをレフティーなので左回りの方がいいと語っている。  エピソード    血統   血統背景  父については同馬の項を参照のこと。 母ワキアは、1000mを57秒台で逃げた快速スプリンターであったが、その父Miswakiはスピードに優れたMr.Prospectorの系統の中では、珍しく産駒の距離適性に幅のある種牡馬であった。また母母Rascal Rascalは、Silver Hawk（の父）との間に英ダービー馬Benny the Dipを出すなど、スタミナも備えていた。サイレンススズカは、そういった潜在的なスタミナも受け継ぎ、父母ともに豊かだったスピードもしっかり備えて生まれた馬だった。 ワキアの産駒は全て中央競馬で複数の勝利を上げ、唯一残した牝馬のワキアオブスズカも重賞馬スズカドリームを出すなど優秀な繁殖成績をあげた。この実績から繁殖牝馬として極めて優秀な資質を持っていたと評価されている。  血統表     近親   外部リンク    脚注           ]]></field>
  <field name="category"><![CDATA[1994年生 (競走馬),1998年没,サラブレッド,日本生産の競走馬,日本調教の競走馬]]></field>
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